●平成25年11月16日 (HP開設)

 

★・エッセー・★

 

アイオロスの革袋

 

  妻の足音が聞こえない

 

 ギリシャ神話は現代に生きる私たちにいろんな示唆を投げかけてくれる。あからさまな教訓というのではなく、何気ないエピソードの中に滋養分やスパイスが効いた話がたっぷりと詰まっていて、教えられることが多いのだ。

 たとえば、よくあるケースで、ある仕事を成し遂げるという直前に何らかのトラブルが起こって、これまでの努力がすべて水の泡になったとか、自分ではなくてもそういう人の体験談を聞いたことはないだろうか。誰にだって土壇場で失敗するケースはある。

 

ギリシャ神話の有名な逸話で、川べりで毒蛇に足を噛まれ不慮の死を遂げた妻エウリュディケを取り戻そうと黄泉の国に下るオルペウスの話もそのひとつ。死者の支配者ハーデスに何とか妻を返してほしいと頼み込み、ハーデスがようやくのことで折れたのは、次のような条件をオルペウスが飲むと約束したからであった。

「この洞窟(黄泉の国)を出るまで決して振り返ってはならない。守れるか」

「はい、わかりました」

 オルペウスにとって、悲願の、愛する妻がそれぐらいのことでわが腕の中に戻されるのならたやすいことではないか、と、いとも簡単に応じたのである。歓喜の声をあげたいところを抑えて、妻をしたがえ、出口に急ぐオリペウス。

 どれほど歩いただろうか、出口はまだ先のようだ。オルペウスは付いてくる妻エウリュディケの顔を一刻も早く見たいと焦らずにいられない。出口はまだか。いや、あと少しだ。ここが辛抱のしどころだ、とオルペウスは懸命に耐える。

 その時、オリペウスはふと気がつくのである。妻の足音がいっこうに聞こえないのだ。妻は私の後を付いてきていないのではないか。そんな疑惑がオルペウスの胸の奥に兆してくる。オルペウスたまらない不安に駆られる。確かめたいが、ハーデスとの約束がある。

 オルペウスは耐えに耐えるが、あと一歩のところで、ついに振り返ってしまう。

 と、そこにはかつての美しい妻ではなく、醜い骸骨の幽霊の姿があった。彼女はぎゃっと悲鳴をあげ、踵を返すとたちまち洞窟の奥に消えていった。

 そういう話なのだ。「オルペウスの冥界下り」である。

 

英雄オデュセウスも嵌る

 

 同じような話は日本の神話「古事記」にもある。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の話である。

 トーンは違うが、パンドラの箱も、開けてはならないという禁を犯す。その途端、あらゆる醜悪や悪が飛び出し、わずかに「希望」だけは箱に閉じ込めることができた。世の中に悪いことが多いのはそのためだと言われる故事になっている。

 シーシュポスの神話は、日本では三途の川原で石を積む話と酷似している。

 

 ギリシャ神話のなかでも英雄豪傑で知られるオデュッセウスが、トロイア戦後十年の放浪の末、いよいよ明日はわが郷里の島に上陸できるという前夜、船の中で酒盛りを始める。手柄を立てた兵士をねぎらってやるのだ。

 これが失敗のもとになる。

 英雄豪傑と言えども、部下の兵士たちが歓喜をあげて酔いしれる輪の中で一緒に騒いでいるうち、長年の疲れがどっときた。そのうちほんのちょっとの間と思って目を瞑る。と、急に気が緩んだか、その時、猛烈な睡魔に襲われる。

 その隙に、大将が〝風の神アイオロス〟からもらった「航海がすむまで、絶対に開けてはならない」と言われていた革袋を、部下たちが好奇心を押さえきれなくなって、中身を確かめたいというのが出てきた。やめとけと諌める者、やっぱり見たい、そいつはとてつもない宝物かもしれないじゃないか、と言い出す者までいた。袋の口を開けるだけのことなら、すぐに閉じれば大将に気づかれることはないだろう、と、ずるがしこいことを言う者もいた。

 それはそうだ、と衆議一決する。そこで最初の言い出しっぺが、袋の口を開けてしまうのである。

 開けてどうなったか? とたんに暴風雨が吹き荒れ、船は沖合に戻されていく。

 何十人何百人の生き残り兵士もろとも、オデュセウスは郷里イタケ島に上陸寸前でこの悲劇に遭うのである。彼らはせっかくの帰還を、またいつ戻れるかもしれない放浪の航海へと押し戻されていったのだ。アイオロスは凶悪な風の神様である。あれほどきつい約束を交わしたではないかというわけで、その約束を破ったオデュセウスへ怒髪天を突く怒りに燃え、暴風雨をもたらしたのである。

 これも、あと一歩というところで、大失敗をやらかしてしまったのだ。

 

昔の人は言った。「百里を行くのに九十九里まで来て道半ばと心得よ」と。最後の最後、文字通り土壇場に来ても、何が起こるかわからない、という教えである。

 

J・ロックフェラーが魔女に遇った話

 

この話は別の書き物の中でも紹介したのだが、ゴルフのプレー中に起こった、信じられないようなエピソードに、こんなのがある。ゴルフエッセイではかなり著名な夏坂健という作家が、こんな話を披露しているのだ。

 

ゴルフ好きで知られたアメリカの大富豪、ジョン・ロックフェラーの逸話である。ジョンは父親が残した莫大な財産・家名を受け継いで、

 「世の中で自分の思い通りにならなかったものはない」

 と豪語していた財界紳士だった。ところが、ゴルフだけは勝手が違ったようだ。富豪の嘆きようはただ事ではなかった。

 その事件は、名門フロリダGCでの最終ホールのグリーン上で起こった。次に打つ2メートルのダウンヒル・パットが入ると、富豪ロックフェラーに生まれて初めての39の快スコアが達成されるはずであった。グリーンはこれ以上ないほど刈り込まれ、いわゆるガラスの上でパッティングするような怖さがあると言われるグリーンコンディションでのことだ。

 富豪も分かっているから、力加減を考え、慎重にワッグルしながら、カップの方向を確かめようと何気なく顔を上げた。その時、腕にふと異様な感触を覚える。何と練習ストロークのヘッドが誤ってボールに触れたのだ。富豪は絶叫した。

 「間違いだ。私は打っていない!」

 ボールにその声が届くはずがない。ボールは、無情にも転がりのスピードを上げて、このコースの名物「ワニの池」に吸い込まれていったのである。
 「畜生!」
 良家のボンボンとも思えぬ罵声を浴びせ、富豪はとうとう愛用のパターまで池に投げ込んだ。

 これは全く、地位も名誉も財産も、この意地悪なゲームには一切役立たなかったということが証明されたようなものだ。さもなければ、グリーンには魔女か悪女がいるということを信じないわけにいかない。

 ゴルフに取り憑かれたシングル、あるいはビギナーでも、こういう経験がおありだろう。違うとすれば、こういうことをしばしば経験するゴルファーには、こんなことが習慣になっているということだろう。興味がある人は夏坂健著『ゴルフの神様』(講談社文庫)を開いてみることをお勧めする。

 

土壇場では何が起こるかわからなという、これ以上はない教訓ではないだろうか。読者は、以上三つのエピソードを、どう思われただろう。